LIBRARY

ライブラリー

第63回『ミュージカルで社会づくり(6)境界線を選択する』

2017年08月24日

チームビルディングの話をしよう
2015年4月から始まった連載コラム「チームビルディングの話をしよう」では、代表河村がチームビルディングを切り口にさまざまなテーマでいろいろな人と話し合った内容をお届けいたします。

今回の『ミュージカルで社会づくり』は、NPOコモンビート理事長として
ミュージカルを通して人材育成をしていらっしゃる

安達 亮さんをお迎えしての対談です。

▽特定非営利活動法人コモンビート
 https://commonbeat.org/
——————————————————————————-

目次

 

 

河村 甚(写真右、以下 じん)
多様性の受け入れレベルの大きさって、
りょうちゃんはどう考えてる?

安達 亮さん(写真左、以下 りょう)
受け入れレベルの大きさは、人それぞれですごく異なると思っています。

大きさどうこうというよりも、「線」を自由自在に扱えるようになるといいなぁと感じています。

自分はここに線を引いているんだということにちゃんと気づいて、
線って消せるよね、って状態にまで持っていければいいと思います。

今日はここまでいける、
今日は疲れてるからここまでしかいけない、とか
日々、時間単位でも受け入れるレベルって変わるんじゃないかと思うんです。

受入レベルが変わっていることに気づいてない、
変えられることに気づいてない、っていうのを
もうちょっと理解してもらえるように、働きかけられるといいなぁと思いますね。

じん
変わるものだったり、変えられるものだったりするものだと捉えているのが大事じゃないか、ということですね。

 

The line is you.

りょう
そうですね。

コモンビートのステージに上がる前に、
気合い入れのコンセントレーションがあります。
ここで出演者は必ず同じ曲を聴きます。
それは「THE LINE」というあるアーティストの曲で
これまでステージに上がった人は全員、この曲を聴いています。

この曲のメッセージは、「The Line is you.」というもので、「線はあなた自身」ということですね。

世の中が引いた線もたくさんあります。
でもその線って本当は「あなた」なんじゃないのって言われると、
たしかに、どこに自分が線を引いているのかって、あまり考えてこなかったことに気づくんです。

じん
そういう選択を自分がしているんだという認識をちゃんと持っておく、ということだよね。

りょう
イエス、ノー、もそうです。
イエス、ノー、グレーだって別にいいわけです。
そうやって自分で線を引くことの勇気・覚悟が必要なんです。

僕は、世の中の決めた線の中で生きるのはすごく疲れちゃうという気がしているんですよ。
線の引き方によっては、一般的には別々ですけど、個人的には同じ側に入れたりしますし。

じん
すごい共感する?。

線って動かせないようなものに思っていたりするし、
これが常識、社会ってこういうもの、というフレームの中に押し込められてるような感じがする。

実は線は自分で選択しているし、選択できる。
線って自分でいくらでも変えられるんだけど、

線は社会で決められていて変えられないっていう常識の中にいるから
線は決まってるんだからしょうがないじゃんと思ってしまう。

りょう
だから、あいまいな存在が出てきた瞬間に、どうしたらいいかわからなくなってしまう。

じん
そうだよね

りょう
本来、あいまいじゃないかもしれない。
性別に関しても、世の中が男・女の2つに決めたから
あいまいな部分が生まれちゃっただけ。
あいまいだって別にいいじゃん、と思えないと。
多様性であふれている、いろんなものに価値観をおいて表現できるようになった社会では、2つに分けるのは難しいですよ。

ブラインドサッカーを例にとると、
目が見える・見えない、では線があるけど、
サッカー好き・嫌いでいったら、線の同じ側にいるわけです。

そうやって考えを汲み上げると共通点が見えてきます。
違いを作るために線を引いているんだけど、
見え方を変えれば、共通点があって、
なんだ、自分たちも線のこっち側じゃん、となる。
そういう意味では、違いなんて無いということも真理としてはある。

だけど、出会わないとそういうことにはなかなか気づかない。

100日間他の99人の仲間の違いとぶつかり合ってやってきたからこそ、「THE LINE」の曲をショーの直前に聞いたときに、気づくわけです。

赤、緑、黄、青というわかりやすい4つで分けられて
これまで100日間練習を積んできた。

それで結局あなたは何色なの?と問われたときに
見た目は赤だけど、
実はみんなそれぞれの色なのかもね、みたいな。

分けることは便宜上必要なのかもしれないけれど、
でもその線は自分で消せるし越えられるんだよ、
というメッセージが伝わるといいなと。

ショーだけでなく、世の中に出たときにも、
自分の中で、この人ぐらいまではこれ、とか
自分で決めていけばいいんじゃない、って思うんですよ。

じん
すごい共感する。

りょうちゃんの話を聞いていて連想したのは、
うちの会社でやっているチームビルディングのこと。

うちのチームビルディングでは「らしさ」を大事にする。
主体的・自立的に組織作りをする、ということは、

会社からこういう線を決められているから、
その中でどうこうしよう、ではなく、

線さえも自分で変えることを選択する、
それが主体的・自立的であるということだと思っている。

そういう組織作りが必要だと思う。

The line is you. すごい。

りょう
そうなんです、すごいんですよ。毎回聞いて泣いちゃう。

 

線をどこに引くのかを選択する

じん
ある意味線を引くこともとても大事なこと。

りょう
そうです。

じん
線が無ければいいというものでもない。
重要なのは、
線をどこに引くのかの選択をするということなのかな、と思う。

多様性は無限に広ければいいわけではない、と思っていて、

どんなものも、どんな多様性も受け入れます、ということ、
無限の多様性を受け入れるということは
その人らしさを失ってしまうことにもなってしまう。

どこかで線引きがあるから、その人らしさになる。
他者との関係性の中で、これが自分だ、という線を引く。

純粋に多様性を広げれば広げるほどいい、という訳ではなく、
どこに自分の線を引くのかを意識することが
多様性を理解して、受け入れるということにもなる。

どこまでが自分の受け入れられる多様性なのか
その瞬間瞬間でどこに線を引くのかということが
本当の意味で多様な社会を作っていくことにつながっていくし、
多様性を活かせることになっていくと思う。

りょう
線は必要だと思います。
自分が決めるという考え方を身につけることがすごく大事。

疑う。
今ある線を疑う。

今ある線が、自分にとってはこのくらいだけど、
他人にとってはすごい高い壁になっていることもある。
自分にとってはこのAとBに関してはすごく低い線しかなくても、
相手にとってはすごく高い線だったりした場合に、
自分はパッと越えられるけれど、
その人にとっては越えられない、ということが普通にあるわけで、
それを否定してはいけないけれど、
その線を低くすること自体はできるということは気づかせてあげたかったりとか

壁はあっても透明であるとか、透明だけど壁があるからぶつかるとか、

安全性はほしいけど、向こう側には行きたくないとか、

本当は見たいけど、というときに
見るかどうかはどちらでもいいんだけど、

見ないとか、遮断するみたいなのは、
ちょっと違う気がするよね、と。

そういうのがダイバーシティ&インクルージョンなんじゃないかと思ったりするんですけどね。

じん
線は変えられると思っていたとしても、
自分の周りの社会の大半が

この線は絶対変わらない、と信じて疑わないときに
それがかなり絶対的な線になっていく気がするんだよね。
社会の中で絶対的と思われているときに
その線を変えていくって難しいよね。

社会のフレームの中に収まって生きてきているから
その中で絶対に常識と思っている壁や線を越えにくいんだよね・・・。

りょう
それはそれでもいい、とも思う。

でも自分は、社会が設定した線は置いてあるけれども、
そこに生きる自分はそれすらも変幻自在にできる立場にはいるんだ、というところを持っていないと、
社会で自分自身が主体的に生きている感が損なわれる気がするんですよね。

考え方によってはそれって、自分を幸せにする方法にもつながるし、
線で区切られたときに「自分は下に入っちゃった!」というときにでも
線は「俺的にはこういう捉え方だから?じゃないんだよな」って自分でコントロールできたらメンタリティ的には救われる気もするな、っていうのもあるんですよね。

じん
そうだね。
社会で決まっているから、これは変えられないフレームだから、じゃなくて
自分がその線を選択している、という風になれば、すごい自由になるよね。

その、社会で決まっている、絶対的だな、と思われるものの一つとして、
例えばほら、「絶対人を殺しちゃいけない」っていうのも、
自分がそう選択している。

「絶対人を殺しちゃいけない」ってフレームに囚われない人もいるしね。
自分はそういう選択をしたいと思わないし、線を越えてほしいとも思わないけれども、
そういう選択をした、一線を越えた人たちもいる。

それは自分たちが選択してその線を置いている。
人を殺したくないし、殺されたくもないけど、
でもそういう選択もあるよね。

りょう
普段は線を意識してないから、
周りの人と出会って、どこに線引きがあるか確認しないとならないと思います。

線があるか無いかは、異質なものに触れないと分からない。

意外とバリアがあったわー、とか
自分では認めたくないじゃないですか。
そういう、自分が排除していることって。

でも「こういう言い方する人は嫌いだなぁ」とか
俺ってちっちゃい人間だなぁとか思うけど、
そういう人に触れないとそういう感情って出てこないから、

そのときに自分はどうしたいのか考えて、
その人ともっと分かり合うためにはコミュニケーションしなくちゃなー、ってそこが得意になっていくかもしれないし、
なかなか難しいなぁ、高い壁だ、と思ったら諦めて次に行けばいいとも思う。

自分を作っていくために、出会う人の絶対数が少ないとやっぱり
同じ人間になっちゃう。

じん
いろんな人に触れるって重要だよね。
でもみんな異質さを表に出さないで生きていたりすると、それが見えない。

みんな表に出そうよ、自分らしさを、と思うよね。

りょう
常にみんな異質なんだから、安心感をもってほしいですね。

僕が今、言葉で伝えていることは100%は伝わらないじゃないですか。
もっと言っていかないと伝わらないな、って思うんですよ。

コモンビートの最初自己紹介では、自分の
個性のタグを出してくれということをしています。

僕は、サッカー、スターウォーズ・・・っていろんなタグがあるんですよね。

そんなの個性なの?とも言われるけど、
話のネタになるんですよね。
自分を構成している重要な要素がたくさんあるわけです。

タグを出してー、って言うと、出せない人が多いですね。
タグが出てこない。

じん
タグが出てこない!

りょう
タグで3分間トークしてください、って言うと、1分で終わっちゃう。
僕はすごくいっぱいタグが出るんですよ。
何でもいいと思っているから。
何が得意で、何が不得意だとか、
グリーンピース嫌い、とか。
グリーンピースのどこが嫌いなのか引き出されて、どんどん話が続くじゃないですか。
話のネタを提供しなくちゃやっぱり人って理解できないと思うんですよ。

じん
おもしろいね!

りょう
めちゃくちゃおもしろいですよ。

100日後に一回やったことあるんです。死ぬほど出るんですよ。
安心感なんですかね。
「おまえ、そんなタグ持ってたの!?」ってことが山ほど出る。
それって、安心感とか関係性が向上した、ってこともあると思うんですけど、

一番最初は「ほんとにそれだけしかないの?」って聞いても「無い」と。
そんなことないけど、出し惜しみをしているんですよね、絶対。

伝えないとわからないことが多い。
最初のタイミングだから怖がって伝えられないということももちろんあるんですけど、
そこから表現していくことにつながっていくには、重要なことだと思うんです。

オンラインでのご相談も
お気軽にどうぞ

チームビルディング研修・プログラムのご依頼やご相談など、お気軽にお問合わせください。

チームビルディング研修・プログラムの
ご依頼やご相談など、お気軽にお問合わせください。