第98回『チームビルディングは楽じゃない(6)普及のジレンマ』
2018年12月27日
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飯島 邦子 氏 (組織開発ファシリテーター プロセスデザインコンサルタント)
元IT系。システム構築プロジェクトのマネジメント経験で、やっぱり人だと気づいて方向転換。ファシリテーションと出会う。2011年独立、PROCESS Laboratory主宰。ファシリテーションを軸にNPO支援や中小企業の組織活性化や研修事業をしつつ、持続可能な開発のための教育(ESD)を推進するコーディネーター育成プロジェクトに関わる。2016年からは㈱ジョイワークスにも参画し、現在は、個人事業・企業活動・NPO活動という3つの器を通して、人と組織、そして社会の持続可能性の探求を軸に活動中。
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飯島 邦子さん(写真左、以下くに)
壁にぶつかって恥ずかしくて・・、って話がありましたが、
恥ずかしいと言えば、ここのところ取り組んでいる人間関係トレーニングで、
それこそ、人と人との関係性とか、氷山の下のプロセスとか、肌で体感して、
これまでの自分を至極恥ずかしいって思っちゃって。
なんていうかなぁ、頭で分かってたつもりだったけど全然分かってなかったんだぁ・・と分かったというか(笑)
でも、そんな自分に気づけたのは、一つ脱した感というか。
河村 甚(写真右、以下じん)
脱したのはすごいね!
脱した感を得られない人っていっぱいいる。
ただやってるだけでも、なんとなく「やった感」が出るからそこで満足しちゃうんだよね。
くには、どうやって脱したの?
くに
何かがすごく出来るようになったというより、その壁を抜ける道が見えてきたというか、
あぁ、うまいこと振り返りができなかったな、っていうのをリフレクションしながら繰り返して、よりプロセスに視点を向けて考えるようになって。
なので、今の体験ってこういうことなんだ、っていうのを参加者に認知してもらえるような関わり方が深まってきたかな、って感じてるのが、ここ最近。
じん
なるほどね。
確かにプロセスじゃないところの方が、話し合い的には盛り上がったりするからね。
くに
うん、どうしてもそっちにいっちゃう。
ずっと、ファシリテーション技術でチームが元気になると思ってたけど、プロセスに着目するようになってからは、表面的だけでなく、もっと深まっていくことが大事なんだなー、とわかってきて、少しプロセスに対する見方が変わってきた・・・。
じん
そうなんだよね~。
くに
まだ「あの時こうすれば良かった」と思うような後悔はいっぱいあるんですけど、
もうちょっとプロセス大事にした場づくりをしたい、そんなことを考えてやっています。
じん
いいですね。
話し合いで組織をつくる
くに
だから、じんさんがやっている「話し合いでチームビルディング」にすごく親和性を感じて
先日もお話を聴かせてください、ってお願いしたんです。私のテーマがずっとそれだから。
自分たちのプロセスを自ら感じ取って、話し合い方を自ら変えていくチームが増えていくといいな、っていうのが今取り組んでいる対話型組織開発的なプログラム。
じん
そうかそうか。そうだよね。
くに
そういう人たちが増えていけば、どんどんファシリテーションが自然と普及していくであろうと思っています。
これがわたしの、”自動詞的に広まって”いくイメージ・・・になるかな。
じん
そうだね。
話し合いには、話し合いのコンテンツ(内容)があるから、話し合いのプロセス自体に一切目を向けなくても、そのまま進んでしまうことができる。
だけど、「話し合いのプロセスに目を向ける」ということを意図的に入れるだけで、話し合いがすごく変わったり、実は話されていないことが見えたりする。
気づければものすごく簡単なことなんだけど、見えない人には全く見えないし、気づかない人は全く気づかない。
その状態を変えるには、話し合った後に、その話し合い自体を振り返るということをやっていくことが効果的。
あとは、一段視座を上げる癖みたいなのを身に付けて、常にメタに行ったり来たりできるといいよね。
くに
うんうん、ほんとにそう思います!
ただ、普及の度合いの話で出た”入り口“、つまり、まだ浅い状態のところだけにいると
そこ(メタ)に立てないじゃないですか。
じん
浅いところにいると、メタに立つっていうのが、本当の意味では立てないんだよね。
「こういう風にすると話がなんか進むよね」とか「振り返りでこういう問いがうまくいくよね」っていうのをやり方として知ってはいても、じゃあ、メタにいつでも立てるかっていうと、立てない。
くに
そこに入っていくことが、世の中の何かを変えていくにはすごく大事だと思っていて。
じん
大事だね~。
世の中を変える
くに
そこが広まっていかないと、世の中に影響を及ぼすようなファシリテーションやチームビルディングにならないような気がしているんですね。
じん
なるほど。そうだよね。
くに
だから、そういう部分を、入り口に入った人たちにも感じてもらいたいなぁ、と思ってて。
そういうのって、自分でプログラムを作って、現場に出て、場合によってはその場で丸っとプログラム変えたり、その場で起こることを感じて、丁寧に振り返って、そんな体験を積み上げていかないと体感できないような気がしてるんです。
結構しんどいこともあるけど、絶対この体験の方がやってて楽しいはずだし。
じん
そうだね。車の運転みたいなもんだよね。実際ハンドル握ってみて初めて分かること、教習所から出て公道を走ってみて初めて分かることの方が多い。
やってみると分かるし、成長できる。教習所の中では事故もほとんど起きないかもしれないけど、雪道で滑ったり、ガス欠して助けを呼んだり、気持ちのいい絶景の中をドライブしたり、いろんな経験すると成長できる。
くに
おおーー絶景の中のドライブは気持ちよさそうだ!
まさに、場にうまく呼応できた瞬間の達成感に似てる。
そんな体験を色んな人にしてもらいたいなぁ。
この間、あるパッケージになってるプログラムを運営している人と話したんだけど
現場を良くしたいからファシリテーションを普及したい、って。
でも自分の現場ではやってないし、自分でプログラムを作ることもしてない。ここに居るだけだと本来自分が課題と思ってた現場は変らないことはわかってるみたいだけど、そこには行かずに、なんていうかな、広める活動を一生懸命やってる・・・それで良いとしちゃってる。。
なんか、もったいない。
淘汰される話の続きにもなるけど、パッケージって諸刃の剣で、経験の浅い人が最初の一歩をしっかり踏み出すためにはとても有効。でも、そこからの深まりや現場への働きかけがないと、意味がないというか。
パッケージのせいじゃないけどね・・・なんかもったいない。
そんな人たちと一緒に成長するためには何ができるんだろうね。
普及への思い
くに
あと、今、色んなワークショップパッケージが流行ってて、〇〇〇ファシリテーターっていうのが大量生産されていることにも、ちょっとモヤっとした気もちもある(笑)
じんさんのバイブル的なパッケージはそんなことはおこらないと思うけど、
本質が伝わってなくて、やり方だけが広まっていく不安っていうかな。パッケージを広めることが目的になってしまうというか・・・
広めたい意思があるからこそのパッケージ。
半面、普及のジレンマも併せ持つ、っていうか。
じん
あー、それはすごく分かる。
前も話したけど、チームビルディングって、まだまだファシリテーションに比べたら広まっていないと思うし、日本ファシリテーション協会(FAJ)みたいにみんなで作りながらやってる感じとか無いんだよね。
くに
FAJは、そういうファシリテーションで世の中を良くしたいという人が集まって、探究して、それを現場に持ち帰って使って、を繰り返す中で深まって、自分も成長して、ファシリテーションも普及していこうとしているところだと思ってる。
15年経ったし今は色々。探究よりもっと浅くても広く普及すべしという人もいる。
一つではないですね。
まぁ、普及しないでいいとは思ってないけど、
私は普及したいからこそ本質がしっかり伝わることを大切にしたいなぁと思ってます。
これも普及のジレンマかな。
あ、もしかして、じんさんはチームビルディングのバイブルを作って、そこからFAJみたいにみんなで相互研鑽しながら普及していくことを目指しているのかな?!
じん
そういうものを仕掛けようとしているわけじゃないけど、結果、相互研鑽が起きてきたら嬉しいね。
ベースにある気持ちとしては、働く場で苦しんでいる人たちの救いになる考え方やあり方を伝え広めていきたいということ。
ちょっとした見方を変えるだけで、ちょっと構造を理解するだけでも働く場に希望が持てるかもしれない。
そのために今まで培ってきたものを整理して分かりやすく伝えていかなきゃという焦りみたいなものがあるのかもしれないな。
くに
うんうん。”広めたい”からこそ、だよね。