第88回『コミュニケーションデザインの研究と実践(5)有罪か無罪かを決める対話:後編』
2018年08月09日
今回からは大塚裕子(ひろねー)さんをお招きして対談をお届けします。
「コミュニケーションデザインの研究と実践」をテーマに、
複数回にわたってお話を伺っていきます。
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サイエンスカフェ
大塚裕子さん(写真、以下ひろねー)
前回は裁判員裁判に関わったときのことをお話しましたが、
科学分野でも、同様に携わりました。
「サイエンスカフェ」が流行ったことがあったのですが、知ってます?
河村 甚(以下じん)
「サイエンスカフェ」?
ひろねー
市民に科学に興味関心持ってもらいたい、ということで広まった、
専門家が科学について話すのを聞いたり、質問したりする場です。
じん
へぇ~。それってどういうところでやるの?
ひろねー
日本では、サイエンスカフェを広める動きが文部科学省主導だったので、
多くの場合、大学。次第に変わっていきましたけどね。
イギリスやフランスでは、もっと日常的にカフェバーなどで行われている文化があります。
東京工業大学で、学生にサイエンスカフェを企画実践させる授業を行っている先生がいて
講師を担当したり、サイエンスカフェの分析に関わったりしました。
じん
サイエンスカフェの分析っていうのはどういう感じなんですか。
ひろねー
構図としては裁判員裁判と似ています。
一方的に専門家が話してばかりだと、ただの講義になってしまう。
じん
圧倒的な専門知識を持っている人と一般市民がいるわけだね。
ひろねー
参加者の知識の非対称性という点では、裁判員裁判と共通してる。
じん
やることとしては、講義ではないんだよね?
ひろねー
そう。本来は講義ではなく対話の場なんだけど、
専門家は自分の知っていることを伝える方についつい力が入ってしまうので、
本当の意味での対話の場が形成されるのは、非常に難しい。
じん
そうなるよね~。
ひろねー
そう、実際には、専門家の意見を有り難く聞く会になってしまうことが多いです。
じん
講演を聞いて、その後話すという構造なんですか?
ひろねー
講演を聞きながらも質問してもよい、ということにはなっています。
じん
参加者同士のコミュニケーションは?
ひろねー
それも難しいかな。
どうしても専門家に質問して聞くという形になるので、
参加者同士の話し合いになりにくい。
じん
なるほど~。
ひろねー
もちろん、机の配置をアイランド型にして、
「このグループで話してみてください」みたいなことは仕掛けるんですけどね。
じん
「全てを知っている先生」がそこに居ることで、
参加者側には“間違ったこと”を話してしまうのでは、という怖れがあるのかもね。
そこに居る先生が正解を知っているのに、
正解を知らない自分は喋りにくい・・・という状態になる。
参加者が自分のことを「分からない人」だと思ってしまうところに原因があるのかな~。
参加者に「間違えてはいけない」という怖れがあると、
いくらアイランド型で話しやすい環境を作ったとしても、うまくはいかないよね。
ひろねー
先ほどの、裁判員裁判の話の中で、
自分の経験からくるフレームを持ち込んで判断してはいけない、
ということを、じんさんが話していましたけど、
裁判員裁判の場合、名目上は、日常の感覚を大切にするんです。
じん
そうだ! 一般市民感覚ってやつね。
ひろねー
そう。生活感覚で、今回の犯罪がどうであるかを話し合ってください、ということなのですが・・・
実際には、それを持ち出されると話し合いにならない。
「共通のフレームを作るべきではないか」というのが、
私たちの研究の結論になりました。
じん
共通のフレームっていうと?
ひろねー
個人の価値観は自由でいいのですが、
事件の見方や、司法の考え方など方法についてはきちんと伝える必要があり、
そのためのオリエンテーションを大切にするということを、私たちは提案しました。
例えば、「疑わしきは罰せず」が原則であることは裁判員全員が知っておく必要がありますよね。
他にも、ある程度有罪か無罪か判断した後に、刑期を考えることになっている・・・等の
話し合いの段取りについても、裁判員は把握しておく必要がある。
あとは、いくら日常の感覚を大切にすると言っても
「あの人はやっぱり犯人だと思うよ」といきなりそこからスタートしてはダメで、
事実認識するときには、自分の価値観を出すのではなくて、
まずは事件で起こった事実の流れを共有する、とかね。
このような話し合いの作法とか段取りみたいなものは守ってもらわないと、
一般市民が入ってきた意味がないのではないか、という提案をしました。
じん
いやー、そう思います。
ひろねー
じんさんのように、ファシリテーションをちゃんとやってきた人にとっては
「それって当然だよね」と受け取られるんだけど、
司法に関わっている人たちからは、
「そんな制約を与えちゃったら、むしろ自由に話してもらえなくなるんじゃないですか」
と言われたりもしました。
話が少し逸れましたが、
サイエンスカフェの方に話を戻すと、
サイエンスカフェには、専門知識を得たい人が集まるので、
裁判員裁判に比べて価値観を戦わせる要素が少なくなるんです。
また、サイエンスカフェの方が、知識の非対称性が起こりやすく、
それを埋めるデザインをきちんとしないと
何のための対話の場なのか・・・ということになってしまう。
じん
対話の場を作るやり方はあります。
チームビルディングジャパンでは研修のスタンスとして、
なるべく教えずに、いかに自分たちで話し合って、考えて、
自分たちにとっての答えを見つけるか、ということを重視しています。
チームビルディングジャパンのプログラムは、
アクティビティを使ってチーム体験をしながら
体験で経験をしたことをベースに学びを得ていきます。
「こういうアクティビティをやって、リーダーシップでは○○が大切であるということを学んでもらおう」
「そのためにはアクティビティの中で、□□ということが起こるようにしよう」
というプログラムにはなってはいません。
世の中には、教えたいことを理解させるために体験を使うという参加体験型研修も数多くありますが、うちの研修はそれとは違う。これはすごく大事なポイントなんです。
体験の中で感じることって、その人だからこそ感じること。
つまり、その人固有の思考パターンや特性、背景をもっているから、
同じことを経験しても、他の人とは違うことを考える、感じる。違うリアクションをする。
それって、その人だからこそ、ですよね。
そこがチームビルディングジャパンの研修で大事にしたいところです。
一つの当たり前、一つの正解を教え込ませる研修ではないんです。