第57回『チームの衝突や対立はいったい何なのか? 』
2013年08月01日
複数のメンバーが集まる集団で活動してゆく過程では意見の衝突、ぶつかり合いは付きものです。多様な考え、視点の人たちが一緒に活動するのだから当然のことであるとも言えます。
感情的な対立が起こるとあまり気分の良いものではないかもしれませんが、「衝突をどう捉えるか?」はチームにとってとても大切なことです。捉え方の違いだけでそれが毒になったり、薬になったりします。
今回は衝突の捉え方について考えてみましょう。
チームの発展段階のモデルなどでチームが発展して行くステップの一つとして対立や衝突があるように言われていますが、実際はチーム内の衝突は一度乗り越えたら終わってしまうような一つの段階ではなく、常に起こり得るものです。しかし、うまく捉えることが出来れば衝突はチームを成長させるキッカケとなります。また衝突の段階を乗り越えなければ先へ進めないというものでもありません。衝突や対立は胸の内にとどめたり、あえて深追いしないなど、それを避けるという選択もあります。しかし、衝突や対立の意味を理解してその選択をするのと、ただ避けたりぶつかり合ったりではその意味も全く変わってきます。
簡単に言ってしまえば、集団のなかで対立や衝突があるということは認識ギャップがあるという事です。衝突が起こることによって認識ギャップがあるという事が分かるのはチームにとって悪いことではなく、むしろ良いことです。それが埋めるべきギャップであればそれが見つかって良かったわけですし、埋めるべきギャップではなく、多様な視点が見つかったという事であればそれももちろん良いことです。当然ながら、すべてのギャップを埋めなければいけないわけではなく、またそんな事はできるはずもなく、する必要もありません。ギャップをそのままにしておくこと自体は悪いことではありません。ただ、ギャップがあることを知っていることはとても大切です。知らずに放置しているのと、認識し、確認し合っているのとでは大きく違います。
単純に認識ギャップであれば簡単なのですが、実際はそれ以外の色々なものが付いてきてしまうので衝突や対立は難しいものになっています。
それはエゴやプライド、閉鎖的なものの見方などです。これらが衝突、対立を「めんどくさいもの」にしています。狭い視野でエゴに縛られると短期的な私利私欲での判断しか出来ません。同じく大局が見えずにプライドに縛られると本当に大切な目的よりも自分が相手に勝つこと、相手より自分が強い状態を維持することなどに全てを奪われてしまいます。一度出した一つの意見を引っ込められずに、意地になってぶつかり続けたり、本来の目的のためではなく、相手を負かすための議論になってしまったり。
感情を切り捨てて、感情のぶつかり合いをなくせばいいというわけではありません。人間は感情を持っているからこそ人間たり得るのだと思います。それでも感情の部分と、「認識ギャップがある」というコンテンツの部分を切り分けて理解することはできます。
チームの衝突や対立はいったい何なのか? というと、それはチーム内に認識ギャップがあるということが分かるサインです。
その捉え方はまず感情的対立と認識ギャップがあるというコンテンツの部分を切り分けて捉えます。そして「こういう認識とこういう認識でギャップがある」という事を言語化してお互いに確認します。場合によっては感情的対立があることも言葉にして確認することが有効な場合もあります。
まずは認識ギャップがあることを確認し合うというその対立が示しているサインをそのまま受け取ることで、チームを活かす薬となるはずです。