第34回『リーダーに向き不向きはあるのでしょうか? 』
2012年09月13日
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先日、こんな質問を受けました。
『リーダーには向き不向きはあるのでしょうか? 私は臨機応変さが無く、物事の内容をすぐ理解できないのですが、それでもチームのリーダをやることは可能なのでしょうか?』
リーダーの向き不向きについては恐らく人類が集団で生活を始めてから常に考えられて来たテーマです。人類の歴史の中でたくさんの人が同じテーマで考えを巡らせて来ました。古くはリーダーの資質は生まれ持ったものであるという考え方が主流でした。現在でも直感的にこの質問にあるように「臨機応変さ」「理解力」などの資質が必要だと捉えられているかもしれません。20世紀に入ってリーダー論/リーダーシップ論は様々な展開をしてきます。「リーダーの特性を持って生まれることではなく、その行動によってリーダーは作られる」といった考え方や、リーダーの機能を目標達成機能と集団維持機能に分けて考える考え方なども生まれて来ました。直感的にリーダーの資質を持っていそうに見られる一見派手なカリスマタイプのリーダーではないタイプのリーダーが実は素晴らしい成果を上げているという研究もされて来ました。
そして、現在もまだまだ色々な研究が続けられています。なのでこのテーマにぶつかり、考えるという事は「なぜ木からリンゴが落ちるのか?」という事について考えるのと同じくらい人類にとって大切な事であり、そしてまだまだ考え続けるべきテーマということです。
このテーマについて考えるためにはまず「リーダーとは何か?」ということについて考えなくてはなりません。この定義も色々となされて来ましたが、仮にここでは「リーダーとは導く人である」というシンプルな定義で考えて行きましょう。
「向き不向きがあるか?」と言えばあります。しかし「臨機応変さ」「理解力」といった資質は関係ありません。もちろんその資質があればそれをリーダーとして活かす事はできますし、大変役に立つと思いますが、必ずしも必要なものではありません。また、導く人になるためには「リーダーになりたい、人の前でカッコつけたい、目立ちたい」ではリーダーたり得ません。逆にリーダーになろうとしなくとも、リーダーになってしまうこともあります。
人がリーダーたり得るかどうかはフォロワーの存在に依存します。フォロワーがついてくればあなたが望んでいるかいないかは関係なく、リーダーです。たとえば、あなたが何か面白い遊びを思いついて一人で遊んでいたところ、一緒にやりたいと仲間が集まってきたらあなたはリーダーです。リーダーになろうと思って、一生懸命声をかけて人を集めても誰も集まって来てくれなければリーダーにはなり得ません。会社の肩書きだけリーダーでも部下が誰もついて来てくれなければリーダーではありません。そして何の肩書きがなくとも人が集まって来る人はリーダーです。
大切なのは「どこへ導くのか?」です。これは具体的なゴールを示す事が全てではありません。その人の歩みの進め方に対する哲学や歩んで行く方向性なども含まれます。旅の目的地が決まっていなくとも、旅の仕方や方面だけでもフォロアーは付いて来ます。「目的地は決まっていないけど自転車でヨーロッパを旅しよう」「どうやるか決まっていないけど、アジアを一つにする仕事をしよう」等です。
リーダーはまず自分の進みたい方向へ歩みを進めます。最初はたった一人かもしれません。その旅がワクワクするものであれば一緒に行きたいという仲間が集まって来ます。また、ワクワクするものであるほど困難なものなので仲間の助けも必要になります。フォロアーがついて来てくれて始めてリーダーはリーダーになるのです。
リーダーとなるために必要なのは「実現したい事に対する強い思い」です。ゴールが明確であるかよりも、漠然とした実現したい事でも強い思いを持っていることがカギです。この強い思いが周りの人たちに伝播し「一緒にやってみたい」と思わせるのです。
「リーダーに向き不向きがあるか?」という問いとは少しズレるかもしれませんが、他の人たちが一緒にやってみたいと思うほど何かに対する強い思いを持っている人が結果としてリーダーになって行きます。そして本人は自分が優れたリーダーであるかどうかよりも、実現したい何かの方を大切に思っているはずです。