第47回『変態を支援するチームビルディング(2)ファシリテーションと教育』
2017年01月12日
※今回の『変態を支援するチームビルディング(2)ファシリテーションと教育』は、
「海外ビジネス武者修行プログラム」を運営されている
山口和也さん(株式会社旅武者 代表取締役)との対談です。
山口和也 (写真右、以下 和也さん)
じんさん、次は何話したいですか?
河村甚 (写真左、以下 じん)
教育とファシリテーションという切り口ですね。学びとか教育、学習というものとファシリテーションの話ができると面白いかなと思うんですけど、どうですかね?
和也さん
やりましょう!
私、大学の講演を結構たくさんやっているんですよね。「今日は今までの講演の中で一番面白いとみんなに思ってもらえる講演にします」と始めることにしています(笑)
自分の覚悟もあるんですが、武者修行を積み重ねてきた自信もあって、ゴールにコミットしているわけですよね。プレゼンも作り込むし、何を話すかもずっとシミュレーションしてきている。
学校の授業って何らかの情報を与えて、それをみんなが蓄積していってというイメージがあると思うんです。 でも、社会に出たら、学校と違って「自分で考えることしか価値を生まない」っていつも言うんですよ。それで、”考える”の定義もいろいろあるけど、自分がしっくりきているのは、情報の”何かと何かを繋げること”だと。
武者修行プログラムの場合は、日本で成功しているビジネスモデルをベトナムに持っていくという繋ぎ方をしている。何でもいいですけど、どう持っていくかを考える。そのまま持っていっても上手くいかないから、ひたすらつなげ方を考える。これが”考える”ということ。
情報と情報を繋げるわけだけど、ぜんぜん脈絡のないランダムな情報を繋げられたときに一番でかい。似たようなものを繋げても、誰もが思いつくようなアイデアになってしまう。脈略のないものほどパワーが大きいわけですよ。
じん
武者修行プログラムでは、日本のビジネスモデルとベトナムの店舗での販売とかサービスの提供というものを繋げると。そこが”考える”ことになるわけですね。
和也さん
そうです。そんなに簡単には答えは出ません。できたら誰でもグローバル人材です(笑)
学校で吸収してきた情報を、社会に出たときにどうやって繋げていくのか。これが本当の意味での”学ぶ”ということだと思うんですよ。
じん
まさにその通りですね。ただ知識をインストールするだけでは、ただの辞書でしかないから……、
和也さん
AIに代替されます。
じん
本当ですよね。”じゃあ人間は何するの”ってことですよね。AIじゃできないことのできる人材を育てていかないと生きていけないですよね。
僕は若かりし頃、すごい生意気だったと思うので、”教えられる”とか”人の常識を押しつけられる”ということに対する抵抗感みたいなのがすごくあって、”教育ヤダ”とか”大学とか行きたくない”と思っていました。
でも、それってある意味すごくもったいない。”教育って押しつけられるものだ”とか、”知識をインストールされるものだ”と思って嫌になっちゃって、その人が学ぶ機会を奪ってしまったら、すごく社会的損失だなと思って。
そうじゃない学び方はあるし、成長の仕方もある。誰かが前に立って”これが正解だからインストールしなさい”というのでなくても、教えないでも学べるというファシリテーションに出会えたことがすごく有り難かったです。
”ファシリテーション型教育”というか、”ファシリタティブ・ティーチング”になっていくだけでずいぶん違うと思います。
和也さん
そうなんですよね。たぶん学校で教えていて思うのって、みんな本質的に”何のために勉強するのか”をわかっていない。
私は社会人大学院に行ったんですが、そこに来る人って本当に問題意識とか課題意識があるから来るわけです。だから、みんなすごく学ぶ。目的意識、ゴールがはっきりしているから。だから、すごくいい場になる。
だけど、今の大学で教えていて思うのは、学生がなんとなく授業に出ている。単位が取りやすいとか、先生が面白いとか。みんな授業に対する意識が低いんですよね。さっきのスノボの話で言うと、アイスバーン状態。先生もやりいにくい、先生のスキルも上がらない。そういう負のループに入っているような気がします。
だから、私が思うに、学校で一番初めにやるべきことって目標設定じゃないかなと思うんですよ。そう思っていて、「今日の授業のゴールはここです」っていつも言うようにしています。
じん
普通の授業には目標設定ってないんですか? わかんないけど、研修だったら100%ありますよね。
和也さん
あんまりみんなが意識していない可能性はありますよね。だから、言うようにしました。目標設定が有るようで無い。ビジネスではあり得ない。
じん
仕事だったら甘いですよね(笑)
和也さん
場づくりという面では、ゴールについてみんなが腹落ちしてから手法、そして何よりbeingですよね。授業への向き合い方、ここを意識して教育する側がやるといいんじゃないかと思います。
じん
学校に限らず、教育とか人を育てていくときに「ここの軸だけ押さえていれば上手くいくのに」というところを押さえないでグジャグジャになってしまうということはありますよね。
和也さん
”ゴール”と”全体像”を把握してから物事を進める。”いま全体のなかでどういうことをやっているのか?” ”そこでどこに向かっているのか?” これがはっきりしていなかったら取りかからない。
じん
これは、つねに見えていないとダメですよね。チームでやっていくうえで肝になるのは、ゴールが共有されているようで、じつはちょっとズレたところにゴールがあったりとかね。
和也さん
それが一番やばいですね。合っているようでいて合っていない。
じん
そうですね。あとは、全体像が見えないで走っちゃっていることって結構あって、目の前のことをやっているだけになってしまいます。全体を見えている人が、全体を見せてあげる働きをするだけでずいぶん違う。
和也さん
そうなんですよ。講演するときは、この2つ、”ゴール”と”全体像”を話した上で始めることにしています。
何度も何度も言っていますが、”考える”は、何かと何かを繋げるとか。すべてオリジナルなんです(笑)
あとは”本質論”と”バランス論”。これで、ほとんど説明できると思っているんですよね。簡単に言うと、”何が本質なのか?””未来永劫変わらないものは何か?”。たとえば、教育として本質的なことはなんだろう? 私がぱっと考えると、やっていることはツールなんですね。何かを成し遂げるための武器、あるいは道具。
教育が成し遂げることは、社会に対して貢献することだったり、目の前のお客さんを喜ばせることだったり、本来的には自分が最終的に何かをするために学ぶのかもしれないのに、その本質を外した行動をたとえば学校でしているとしたら、どうしたらその本質のほうにいくだろう?
そんなふうにいつも物事を掘り下げていって、”一言で言うとこれだよね”というところまで落とし込む。そこから逆算するんですよ。そうすると、さっきの授業のゴールと全体との話とも繋がりますし。
「一言で言うと、それってどういうこと?」ってつねに考えています。
それはだいたい二元論になります。どういうことかと言うと、何かと何かの対比になる。たとえば、リベラルな会社が良いか、コンサバな会社が良いかという議論に意味がないと思っていて、ステージによって変わるから。今どこのポジションにいるかを見定めることが大切。
成長も全部同じで、例えば私は外資系で働いていて自分で決断できないことが多かったんですね。指令系統がはっきりしているわけですね。
なので、自分で会社を作ったときはその逆へのあこがれが強くて、全部任せちゃったわけですよ。そうすると、それはそれで上手くいかないわけですよ。そうすると、自由さを残しながらも、指令系統もなきゃいけないんだなとわかるわけです。今度は縛りすぎたから、社員も成長してきたしもうちょっと任せてみよう、とか……。
いま自分がどこにいるかによって、右に行ったり左に行ったりする。その場所を見定めることが本質的なんだということを、よく考えているんですよ。
じん
僕も本質について考えるのがすごく好きですね。純粋な、抽出された本質のドリップ一滴ってすごくシンプルで美しいはずだっていうことを信じて疑わないんです。
”バランス”ということについては、僕はバランスとは見ていなくて、”クリティカル思考”というか。自分の思考がこっちに寄ったら反対側も見てみる、みたいな。
和也さん
そうですね。うまくいっているときほど逆に行ってみようと思う。
じん
そうそうそう! ”逆の視点、大丈夫かな”というところが気になる。教育というところから入っていきましたが、ビジネスでコアな部分だと思います。”本質なんなの?”とか”バランス”とか。
和也さん
だいたいこの2つのどちらかでほとんどの事象は説明できると思います。学生からよくある質問ですが、「弱点を克服したほうがいい? 強みをのばしたほうがいい?」という質問に対してなら、「自分がいるステージによる」ということですよね。
「どんな本を読んだらいいですか?」も一緒。。
じん
そういう質問に対しては、基本的に質問返ししますね。相手の質問の意図を理解しないで質問に答えるのは、失礼だし。
理解したい気持ちがすごく強くて、「この人の聞きたいことは何だろう?」「この人の言わんとしていることは何だろう?」「この人はどこで躓いているんだろう?」ということは聞いていかないとわかんないし、そこに興味を持っているとどんどん聞きたいことが湧いてくるので、そうすると、本質ここなんだ、ということが何もアドバイスしてないのにわかる。
和也さん
今のじんさんの話を聞いていて思い出したんですが、マーケティングでよく氷山の喩えが出てくるんですね。海に浮いている氷山で、本質の部分は水面下の部分ですという話。マーケティングの業界では「お客さんはお客さんのことを知らない」っていうんです。つまり、お客さんが「これ欲しい」といってることってあんまり本質じゃないんですよね。
さっきの面談の話も一緒で、「こういうこと教えてほしい」って言ったときにうまく言語化できていない部分があるんだと思うんです。
じん
それはすごくあると思います。うちの会社でも「チームビルディングしたいんです」といった依頼を頂くわけですが、聞いていかないと見えないんですよ。「なんでそう思っているのかな?」とか「現状何で困っているのかな?」とか、聞いていくと見えてくる。
聞かないと、「これ欲しいです」「はいどうぞ」とはなかなかいかないんですよね。氷山の下の部分が見えないと、本質をとらえないと、欲しいものを提供できない。並んでいる商品を取ってください、ではないと思います。
和也さん
教育という観点で言うと、ゴールと全体像ですね。”ゴールを達成するために”とか、”そもそも何やっているの?”とか、”どこのステージにいるの?”とか、”どういうふうに思考をしたら”とか。
情報ではなくて、変わらないルールがないからうまく入らないんじゃないか、あるいは入る効率が悪いんじゃないか。
じん
そうですね。
和也さん
そういう教育をやりたいですね。セットアップ的な感じですね。誰も教えてくれないんですよ、学校に行っても。
じん
ガチな現場にいると考えるし、わかるし、そういうことを言う人たちがそういうところにいるから。
和也さん
ガチであればあるほど、「精神と時の部屋」的な負荷がかかった状態でしか成長しないんですね。本当の真剣勝負。
じん
経営者は経営でしか成長できない、みたいなね(笑)